アラフィフからのめばえ

筆者プロフィール

こんにちは!オカピです。
あちこちの職場で働き計21年のナース歴です。

今回は自分の人生を振り返り
思う事を書いてみました。

良かったらお気軽に
読んでみてくださいね。

どこか孤立しがちな子どもであった


いきなりですがオカピは
中学生のころ
いじめられていました。

高校生になると
いじめられることはなくなりましたが
集団から浮いていました。
友達はいるにはいたのですが。

孤独が怖い人間だったので
孤独を避けるために
あえてグループに入っていた
のだと思います。

気弱な性格が災いしていたのも
ありますが
自分が納得しないものには
迎合しようとしない性質でも
あったため、
いじめられたり、どこか
孤立を受けやすい人間だったと
思います。

オカピはそんな自分が
大嫌いでした。

好かれる自分をつくっていた

そのくせ、孤独が怖い人間でした。

素の自分では好かれない
そう思っていました。

なので自分を
友達に合わせていました。

友達の話題に合わせるため
興味があることは
その人に合わせていました。

またオカピも
素の自分では好かれないので
基準を人に合わせていました。

いわゆる
人気のある事
人気のあるもの
に自分の焦点を合わせ
オカピの思う
「好かれる人間」に
なっていました。

それを繰り返すこと
数十年・・。
学生時代を経て、看護師として
働き続けても
自分の基準を人に合わせていました。

「・・でなければならない」の思考に


気が付けば
自分の好きなこと、
好きなもの、
大事な基準、
に鈍くなっていました。

それとともに増えてきたのは
「こうでなければならない」
「こうすべきだ」
ということばかり。

がんじがらめに自分自身を
また自分にかかわる人に対しても
型にはめ、縛り続けていた気がします。

分岐点で気づかされた限界

結婚して仕事を退職し、出産して
離婚をして。

相変わらず
「こうでなければならない」
「こうすべきだ」
という思考でしたが。

「こうしないといけない」という状況の中で
「こうしないといけない」と思う事が
嫌になってきました。

「こうすべきだ」という状況の中で
「こうすべきだ」と思う事が
嫌になってきました。

そこで初めて
自分の好きなもの、
自分の基準が
あったけど
どこかへ追いやって

いつのまにか知らない間に
人の基準に自分を合わせ
続けていたことに
改めて気づかされました。

45歳からの芽生え

そこで初めて
自分の人生
子どもの人生
身近な親兄弟とのかかわり方
仕事、生活、人間関係
色々な事柄に対し
自分で考えて
折り合いをつけるように
なってきたと思います。

自信はいまだありませんが
自分のことを認め
「あほやな、自分」と
笑えるように
なってきたなと思います。

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