好きは後からついてくる

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こんにちは!オカピです。
ナース歴21年です。

今回はオカピが習っていた
ピアノについて書きたいと思います。

良ければお気軽に
読んでみてくださいね。

3歳から習い始めたピアノ

幼少のころからピアノを習っていました。

厳しい先生で
鍵盤の白い部分が
血で染まるくらいに
練習してくださいと
母親に言っていたのを
思い出します。

週1回のレッスンで毎週水曜日。
16時から。レッスン時間は30分。

その中で
指練習のハノンから
ツェルニー、ギロック
最後にソナタアルバムと
メインの仕上げにいってました。

先生には物差しで
顔以外すべて叩かれました。


足のペダルのタイミングが悪ければ
足をバシッ!
指使いが悪ければ
それが左手だったら左手、
右手だったら右手をバシッ!
手首が動いていたら
手首をバシッ!
ピアノの椅子に座ったとき
背中が曲がるなど
姿勢が悪ければ
背中、腰をバシッ!
・・・・etc.。
あざになるほど叩かれることは
ありませんでしたが
痛かったのをよく覚えています。

とにかく叩かれて
よく叱られていました。

一回叩かれるのが嫌で
手をたたかれる!と思った瞬間に
手を引っ込めたことがあります。

すると先生は逆切れして
「帰りなさい!」
「私のレッスンを拒否したんだから
ここにいなくていいのよ!」と
怒られたことがあります。

当時4年生ぐらいだったでしょうか。
オカピは帰ることもできず。
その場に泣いたまま居つくしたのを
覚えています。

自宅に帰りそのことを母親に
話すと、
「帰ればよかったのに!」と
憤慨して抗議の電話を
先生にしていたのを覚えています。

それから少し
叩かれることは減りました。

今でこそ問題になると思いますが、
オカピの子ども時代は
よくあったことだと思います。

バイオリズムの激しい先生

ヒステリックな先生でした。
レッスン中に頭痛薬を
時折飲まれていました。

先生の決めつけで
先生の思うように弾けていなければ

「なんかい同じことしてるの?」
「糠に釘とはあなたのことね。」
「あなたの曲を聞くより習いたての
小さな子供のピアノを聞くほうが
よっぽどいいわ。」
「あなたの将来は目に見えている」

なんて言われていました。

ピアノが終わって
家までの帰り道。
泣きながら帰ったことも
多くありました。

母親から「どうした?」と聞かれました。
特に何も言わない子どもでした。

幼いながらに
親には弱音を吐きたくないと
思ってたんでしょうね。
どこか意地みたいなものも
ありました。

ピアノを習っている最中
ピアノが楽しい、
ピアノが好きと思ったことは
全くありませんでした。

ただただ
練習しないと怒られる。
叩かれる・・。
その恐怖感からひたすら
練習をしていました。

夢の中にまで
怒られてたりしました。
ピアノの鍵盤に
追いかけられる夢も
多くありました。

学校の宿題や行事よりも
ピアノのレッスンの方が
苦痛で重大でした。

ただ褒められることも
たまにありました。

「すごいね!このリズムが一回で
弾けるなんて。」
「いいねえ。いいねえ。
この曲は貴方に合っているね。」
など。

苦痛しかないレッスン

ただ基本的には
先生の枠にはめられた
レッスンでした。

ある程度上達すると
この曲が弾きたいとか
なるもんだと思いますが。

全く無駄なことでした。

年に1回ある発表会で
課題曲を選ぶときに
この曲が弾きたいと思って
「これを弾きたいです」といっても
「あなたには向いていない」と
別の曲が課題曲になったり。

毎年毎年先生の決められた課題曲を
弾いていました。

中学生になったら
定期的に通知表を見せることが義務となり
「音大に入るにはこのくらいとらないと」
と成績にも指摘が入るようになりました。

音大の入試問題を
レッスン中に行うこともありました。

今思えば
かなり期待されていたのだとは
思います。

当時は毎週水曜日16時からのレッスンが
苦痛で苦痛で
歳月を重ねるごとに
地獄となっていました。

ピアノから解放される

そして高校受験が終わったと同時に
ピアノをやめたいと
母親に告げました。

母親がピアノの先生に
連絡してくれました。

その当時
私は先生に
「やめたいです」という勇気が
とても出ませんでした。

ピアノの先生は
さすが母親相手だからか
厳しいことは言わずに
「私が厳しすぎたんでしょうか」と。
「改めますからやめないでほしい」と。
泣いていたそうです。

それを母親から聞かされた時も
全く心は動きませんでした。

ようやく解放される。

そう思いました。

ピアノにもう触らなくてもいい。
もう怒られることもない。
毎週水曜日おびえなくてすむ。

そう思いました。

やめた時
ピアノは大嫌いでした。

ピアノが弾きたい

高校生になり
毎週水曜日からも解放されて
ピアノをやめてから
一年経った頃。

ピアノが弾きたい

そう思うようになり
楽器店に教本を買いに行きました。

今までは先生から
指定されたピアノ本だけを買っていましたが。

もうそんな縛りもありません。

自由に選んでいいんだ。

そのことがとても
嬉しかったのを覚えています。

自分で好きなことを
思い出すように。

お小遣いをだして
好きな教本を買いました。

ショパンです。

自宅に帰りさっそく
教本を開き
ショパンの
「ノクターン第二番 Op.9-2」
を弾きました。

3歳のころから12年ピアノを
習って、いろんな曲を弾きましたが。

この曲を弾いた時に
初めてピアノが愛しくなりました。

今まで怒られたことや
悔しかったこと
悲しかったことも含めて
この曲に込めて弾きました。

感情をこめてピアノを弾くことは
ピアノを習っている最中には
なかったことでした。

音に感情をのせて

ピアノというのは
感情をゆさぶり、
また感情をつつみこむものに
なっていると思います。

曲のうねりの中で
さまざまな感情が
沸き起こりました。

初めてピアノを習った
3歳の時。
先生からごほうびでもらった
キャンディの詰め合わせが
嬉しかったこと。
発表会で緊張したこと。
同級生に抜かれて
悔しかったこと。
先生から叱られたこと
先生から叩かれ辛かったこと。
先生から褒められたこと・・。

さまざまなピアノレッスン場面が
浮かび上がりました。

先生への感情があふれ出しました。
反抗できなかったこと
先生の言うなりで自分の思いが
言えなかったこと
先生からきついことを言われ
悔しかったこと
悲しかったこと
弾きながら涙が出ることも多々ありました。

何回も何回も
弾くうちに
先生への感情は
どこかへ昇華されていきました。

好きは後からついてくる

それからピアノを習うことは
していません。

ですが事あるごとに
ピアノは私のそばにあり。
今でも大好きなことの
ひとつになっています。

無我夢中で習っていた時は
義務のように弾いていた
ピアノですが。

ピアノから去り
はじめて
好きなものになり
大事なものになっています。

このことから
好きは後からついてくるのだと
思っています。

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