離婚したときのことを振り返るのは、かさぶたをはがすこと

シングルマザー

こんにちは!オカピです。
ナースの仕事をしている
シングルマザーです。

離婚して10年経ちました。

離婚されたシングルマザーは
子ども達を育てたり
生活を立て直したり
日々の色々なことで
忙しすぎて
立ち止まる暇なんてなく
あっという間に
時間が過ぎてしまっていると思います。

オカピもそうです。
とにかく働き続け
生活を立て直し続けた
毎日でした。

離婚した時のこと
思い出したくない人も
おられると思います。

オカピもそうです。

古い古いかさぶたを
無理やりえぐるみたいな感覚で
出来れば触れてほしくなく
自分も言いたくない。

ですが
今回その古いかさぶたを
はがすことで
新しい自分が
新しい毎日が過ごせるように
なるんじゃないかと思い
今回、離婚した人ならば
持っているであろう
古いかさぶたについて
掘り下げていこうと思いました。

なんてことをしてしまったんだ!!

オカピは
離婚した当初
働きながら子育てしながら
毎日必死でしたが。

その一方で
なんて決断をしてしまったんだと
罪悪感にさいなまれました。

なんてことを
してしまったんだと。

私の選択で
子ども達の今後の人生から
父親と暮らす選択をなくしてしまったと。

離婚してもずっとその気持ちが
ぬぐえずに
新しい職場でも
履歴書をみれば離婚したことが分かるのですが
離婚したことについて話したくはなかったし。

離婚していることをべらべらと
話す気は毛頭ないですが。
話の流れで離婚していることを
話すときに
カミングアウトのような感じで
罪の告白をしているような気持になり
ぎこちなかったですね。

この離婚していない人達は
離婚した私のことを
軽蔑するだろうか。
年端もいかない子どもに
父親をなくさせて
身勝手な母親と思うだろうか。

そんな自意識過剰の毎日を
鎧を被った毎日を過ごしていたと思います。

元夫との生活

結婚当時に子ども達2人と暮らした
借家での生活。
いつも夫が帰らずに
子ども達2人と3人の暮らしでしたが。
しっかりと地に足をついて
暮らしていた日々がありました。

虫が異常発生する
大変な借家で、虫退治に明け暮れた日々でした。

その時の様子を書いた記事はこちら

→虫屋敷での毎日

結婚している当時
この虫屋敷に住んでいる当時は
しょっちゅう元夫と
お金のことで言い合いが絶えませんでした。

元夫は
「自分のものは自分のもの。
みんなのものも自分のもの。」
こんな典型的な人で
幼稚な人だったと思います。

生活費を出してくれなかったのです。
7万円の借家に住んでいて
夫から渡される金額は
10万円でした。
それも不定期でした。

10万円の中から
家賃、光熱費、食費・・など
当然足りません。
ない部分は私の貯金を
切り崩していました。

お金が足りないときに
生活費を請求しても
はぐらかし、
しつこいと
守銭奴呼ばわりされていました。

私はいつも言いくるめられて
なんだかいつも悔しい
腑に落ちない気持ちを抱えていました。

とにかくいつも
お金が足りずに
自分の貯金を崩す毎日。

定期的に収入も
なかったようで
言い訳ばかりをしていたような気がします。

言いたくないことを
言わなければいけない毎日。

つらい毎日でしたね。

いつしか話すこともしたくなくなり
夫と話したいとは思わなくなりました。

夫不在の日々は平和そのものだけど。。どこか寂しい

元夫は
自宅に帰らないようになりました。
ときどき帰ってきても
真夜中過ぎ。その次の朝には
出かけていました。


幼い子供2人と私の
3人の暮らしでした。

元夫が帰らないこともあり
かえって平和な毎日でした。

いつも子供2人と3人で
近所の河原で遊んだり。

スーパーに行く時は
レジの店員さんが親切で
顔なじみにもなりました。

子育て支援の開放保育園などが
充実しており
子ども達を連れて行っては
お誕生会のお祝いをしてもらったり
保育士さんも親切でした。

夜になると辺りは真っ暗になり
夫も帰らなかったので
毎晩夜の19時には就寝する
毎日でした。

ただ常にお金がなかったんですね。

経済的にも不安定で
たまに返ってくる元夫とも口を開いたら
喧嘩になる。

言いくるめられている時は
自分の言い方が悪いから
いけないんだとも思ったし
話したくないからもう私がおれていようと思いました。
貯金を崩すのも
嫌でしたが仕方がないと思っていました。

子供2人と私とで暮らす日々が
当たり前になり
私さえ飲み込んでいれば
この生活を守っていけるのだと
思い込んでいました。

不自然な形でしたが
私はそれなりにこの生活を
夫が帰らない生活を不安定なりに
受け入れていたのです。

離婚なんて全く視野に
入れていませんでした。

勇気を出して向き合う

だけど。

妹に状況を話すと
「お姉ちゃん、それはおかしいよ。」と。
弟や妹に何げなく話した時に
そういわれたことがきっかけでした。

このどこか不自然な生活に
気づきながらも
気づいてしまえば
何か大変なことが起こる。


すごく大きな決断を
しないといけないことになる。


それを思うと
いつの間にか
「私さえ我慢していれば」という
心理になっていたのだと思います。

ですが
元夫は自分の下着やカッターシャツなどは
新調のものを購入しているのに。
子どもの服も買えずに
子どものミルク代もねん出しなければ
ならない状況に憤りを感じました。

意を決してお金が不足しているから
生活費を出してほしい。
と状況を伝えても
「俺がぼろぼろの服を着て
お客さんの所にいっても契約できないでしょ。」
「先行投資だよ。」といってばかりの始末。
生活費が増えることはありませんでした。


ああ言えばこう言う
夫はその典型で、
話し合いが成立しないことが
多かったのです。

自分の持ち物は購入するけど
それ以外の食費、光熱費、車維持費、家賃などは
不定期にもらうわずかな生活費と
私の貯金からの捻出。

何かがかなりおかしいと思った時に
色々なことを考えていきました。

いつの間にか信頼関係が破綻した私達

そこで家計簿見せて
今月の出費状況を伝え
これだけの生活費は最低限必要だと
具体的に元夫に伝えていきました。

感情的になりやすい私は
メモに言いたいことを書きまとめ、
元夫に伝えていきました。

ですが元夫はいつも問題をすり替えて
話し合いにならないことがほとんどでした。

頭がおかしくなりそうでした。

あるとき夫が
夫の祖母の遺産分けで貯めていた200万円を
わずか7カ月で使い果たしたという
事件が起きました。

何に使ったのかと問うと
「俺の実家の金なんだから
俺が自由に使って構わない。」と
開き直る一方でした。
何に使ったのか聞いてもはぐらかしてばかり。

それどころか
「俺をそうやって追い詰めて
お前は楽しんでるんだろ。」
「俺の困った顔を見たいがために
そうやって無意味なことを
ほじくり返しているんだろ」と
言われました。


このセリフが
決定打だったように思います。

いつの間にか
夫は私を信頼していないんだ。
どうしてこうなってしまったのか。

そこで
この人と一緒にいても
積み上げていくものがない
築いていくことがないだろうと
思い
離婚しようと伝えました。



それから3カ月後
離婚が成立したのです。







いかがでしたか?

離婚を決めるまでのことを
書きました。

私にとって
誰にも言えなかったことを
今初めてブログの記事として
発信しました。

きっとシングルマザーの方や
離婚を経験された方は
色々な事由があり
離婚を決断されたと思います。

ですが
離婚が成立しても
本当にそれでよかったのかとか
迷いや不安の中にあると思います。

私オカピは
離婚して10年経ちます。
今は離婚してよかったなと
思う事が出来ています。

その間は
色々な不安感はありました。

離婚していない人から
差別されるような扱いも
受けてきました。

みじめになることも
ありました。

離婚を決断された方
迷いの中にある方

私で良ければ
話を聞きます。

大変な決断をして
一人で頑張っているあなたの
力になりたいと思っています。

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